LIFE LOG(ジェネラリストの思考)

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thought, Emotion and Act

メディアのコンテンツイメージと『憧れ』を考えてみた

ねね!管理人さん!あれみた?あれ!

なんだよあれって?

あれよ〜!あれあれ!

気持ち悪いなあああ!早く言えよ!

『逃げ恥』よ!『逃げ恥』!まだみてないの?

いつの話だよ!古いわ!

あー私もあんな塩顔で奥手な旦那さん持って、少しずつ距離を縮めていく結婚生活がしてみたいわ〜!

それは、感化されすぎだよ!

でも、星野源さんみたいな旦那さん持って、みんなから羨ましがられてみたいわ〜、誰だって勝ち組になりたいもの〜。

お前の顔じゃ無理だよ、男も同じだもんwww

メディアのコンテンツイメージと『憧れ』を考えてみた。

多様化する視聴者とクリティカルなマーケティング

メディアってなんだ廊下。テレビやマスコミ、ラジオやインターネット。たくさん考えられると思う。

 一昨年流行ったドラマで「逃げるは恥だが役に立つ」がありましたが、あれはテレビというメディアの発信するコンテントである。

 メディアの収入源の大半が広告費であると考えてみると、やっぱり視聴者を増やすことがコンテントの目的であると考えられる。

 特に高い視聴率が見込まれるドラマやバラエティは視聴者にとって興味のあったり、身近である内容が主軸に仕込まれていると考えられる。

また、視聴者が多様化したことによってマーケティングも発達し、ドラマなどの舞台も非常にクリティカルなものになっていると考えられる。

それはすなわち、ターゲット層が分かっている分、彼らの憧れるストーリーを作り上げられればそれなりの話題性が見込まれる事実をさしている。

本質的には今も昔もそうなのかな。

『憧れ』はテレビから始まった

子供の頃の「憧れ」はテレビから始まった子供達は少なくないのでは。

サッカーや野球選手、俳優、女優、アイドル、パイロット、アナウンサー、芸人、、、

THE小学校の頃の将来の夢ってこんな感じだったはず。

テレビはただ情報やストーリーだけではなく、我々に「憧れ」と「夢」をくれたのは間違い無いと思う。

『逃げ恥』を含めドラマもそうだと思います。ドラマは娯楽として我々を元気にするストーリーを演出してくれ、文化を発展させた素晴らしい発明だと思う。

ですが、先ほどのマーケティング要素がドラマのストーリー作成 に影響されると、どうなるだろうか。

 作者が考えるマーケティングされたドラマへの意見

初代仮面ライダーと今の仮面ライダーを比較するとわかりますが、ドラマが現代の視聴者の多様化を考慮された上でマーケティングされると様々なものが過度に美化されてしまう側面があると僕は思う。

 

初代仮面ライダーは藤岡弘さん。ハードボイルドな営業サラリーマンみたいな風貌ですよね。

現在だと竹内涼真さんや上遠野太洸さんのような若手イケメン爽やか系俳優が抜擢されるようになりました。

昔は俳優の顔ではなく、斬新でアクロバットな演出などで話題を集め、純粋なストーリーで視聴者を楽しませたものが、今や視聴者の母親を巻き込むことで視聴率をあげ、関連商品を売るための目的にもなってしまっているのだと考えられます。

これがいいことなのか悪いことなのかはわかりません。

 

しかし、視聴者の子供は仮面ライダーには全員なれないが、イケメンになる子供とそうでは無い子供がいることは作者的には少し残念(作者は、、、(・ω・)

 

 

最近のアメリカのアニメでは小学生グループの中には黒人がいたり、ムーランなど中国人を主人公にしたものがあったりと視聴者の多様化が進んでいるのに対し、日本では前提という意味で視聴者は日本人なのでかなりキャラクターの特徴が固定化されてきていると思う。

もちろん現代のアメリカのドラマで黒人が出てくるのは当然ですし、作者が愛するカリフォルニケーションの主人公の娘はあまり可愛く無いです。。。笑

この話を進めるとindividualismとcollectivismなどの話とかにもなってきそうなので切り上げますが、、、笑

僕は日本のドラマはかなり視聴者に媚びているようで、せっかくの技術力が勿体無いと思う時がある。イケメン高身長とナイスバディな美女だけしか出ないドラマは現実性がなく、本当に勿体無いと思う。

 

「憧れ」が歪んでいる

同時に視聴者の登場人物への「憧れ」が歪んでいるような気もする。

お金持ちと結婚することが幸せだとか、クラスのアイドルとの恋愛に憧れるとか、偏差値の高い大学に入って大企業に勤めるとか、日本人にとっての人生の王道みたいなものがドラマを先頭としたメディアによって共通認識として固定化されているような気がする。

本当の「憧れ」は自発的かつ内発的に生まれるもであって欲しいと思う。

ドラマの中のキャラクターは全てが演者含むプロに設計されたもので、 現実ではない。

大人になってもドラマが作るイメージに憧れ奔放される人たちをよく見るけど、なんか残念。

最近はゴシップガールとかセックスアンドザシティとかの外国製ドラマの影響で、全体的に外国人コンプレックス見たいなものがより強くなってきている気もするしもうなんだか、、、(なんだよ、外国人風パーマって笑)

僕たちは日本人だから、日本人という形からでしか幸せは手に入れられないと思うし、最近は本当に『憧れ』と『幸せ像』のハードルに圧倒的高さを感じる。

 

さっきも書いたけど、ドラマは生きる勇気や元気をくれるものだったはず。

現実ではないからその中で描かれている幸せ像のようなものに自分の人生を重ねるのは勿体無いと思う。